修羅の覚悟 2
人生の通過路において、他の人による介護や介助を必要とする主要な時期は、乳幼児の頃と寝たきりや痴呆性になった老後です。
赤ちゃんと老人が同じように世話の手がかかるのは、普通の意味で自力で生存を維持できないからです。
もし、人間(個人)というものが、自己と時間のイメージをもち、自分と他人、自分と環境との関係を認識しつつ行動できるものとすれば、この意味で赤ちゃんは人間の形はしているが人間ではないでしょう。
人間になる可能性をもつ動物にすぎないでしょう。
だから、人間にするための育児に手間がかかるのです。
・・・しかし、この手間のかかる育児の労苦を大部分の親はいとわないでしょう。
それは人間になる可能性(夢)を確信しているからです。
これに対して、痴呆性老人の場合を考えてみましょう。
痴呆とは医者の用語では広く「見当識障害」の一種であるといいます。
見当識とは、自分自身について、自分と他人や自分と環境や自分と時間について見当がつき、それに従って行動がとれることです。
この見当識に脳血管症とかその他不明の原因で障害が起こり、老人が「非人間」的行動をとる場合に、それを痴呆性老人とよんでいます。