修羅の覚悟
体が不自由になった老人たちが「一身独立」の人間として最後まで生きるためには、意欲をもちつづけられるような条件をつくることです。
それは、時に「冷たいくらいでなければ人は親切でない」という逆説を、配慮のいき届いた「補完」行政で実証することではないでしょうか。
なにからなにまで面倒みているようで、実は最も非人間的な管理をしている施設福祉の現場を「ホーム」(家庭)とよぶのはあまりにも無惨です。
老人たちから自立への意欲を奪い、あるいはその意欲を捨て去ることなしに「ホーム」へ入所できない福祉行政の現実をどのように改革できるか・・・
そこに自治行御曲政と住民との関係を考える最もさし迫った今日的課題の一つがあるといえるでしょう。
修羅といえば「常に戦い・争いの行われる悲惨な場」のことです。
やや誇張していえば、いま、わたしたちが急速に入っていこうとしている高齢社会における施設でも在宅でも、福祉の現場は修羅に近いものになる可能性があるように思われます。
・・・それは、福祉の現場を人間的なものにしようとすればするほど、そうなるという逆説的な事態の招来です。
なぜか・・・・?
この点を次に考えてみたいのです。